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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)3795号 判決

原告 伊藤精七

右訴訟代理人弁護士 小池金市

同 手塚敏夫

被告 大映株式会社

右代表者代表取締役 永田雅一

右訴訟代理人弁護士 一松定吉

同 一松弘

同 柏木薫

同 田坂幹守

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、申立

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金五〇万円およびこれに対する昭和三四年九月一八日から支払ずみまで年六分の金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求めた。

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。

第二、事実上の陳述

一、原告の請求原因および被告の主張に対する答弁。

(一)、訴外吉本株式会社は、被告会社を受取人として次の約束手形一通を振出し交付した。

金額   金五〇万円

満期   昭和三四年九月一八日

支払地  東京都中央区

支払場所 株式会社三和銀行銀座支店

振出日  昭和三四年六月二二日

振出地  東京都中央区

原告は、右約束手形(以下本件手形という。)を被告から拒絶証書作成免除のうえ、裏書により譲渡をうけ、その所持人となり、満期に支払場所に呈示したが、その支払を拒絶された。

よって、原告は裏書人たる被告に対し右約束手形金五〇万円および満期である昭和三五年九月一八日から支払ずみまで年六分の利息金の支払を求める。≪以下省略≫

理由

≪証拠省略≫をあわせると、昭和三四年六月二二日ごろ当時訴外吉本株式会社の経理部長代理の職にあった新田俊彦は、吉本株式会社代表取締役林弘高の承諾を得たうえで原告主張の約束手形一通(本件手形)を振出しこれを中村清七(同人の地位は後に判断する)に交付した事実を認めることができる。

二、次に、原告が被告会社から本件手形を有効に裏書譲渡を受けたかどうかを判断する。甲第一号証の一の裏面裏書部分記載によれば、宛名人を白地とし、裏書人として記名判により「東京都中央区京橋三の二大映株式会社取締役営業部長鶴田孫兵衛」と記載し、その名下に鶴田孫兵衛名義の職印が押捺してあるところ、被告会社は、右裏書は当時被告会社関東支社長附に在職していた訴外中村清七が何等の権限なくして右名義を冒用してした偽造のものと主張するのである。この点につき≪証拠省略≫及び本件口頭弁論の全趣旨をあわせると、次のように認めることができる。すなわち被告会社はその本社のもとに関東支社(もと関東営業部と称し、昭和三三年九月一日から改名)、関西支社、中部支社、九州支社、北海道支社を有し、各支社は、それぞれの担当地域において、大映映画のフイルムを映画館経営者に賃貸してその賃料を集金してこれを本社に送金することを主たる業務内容としており、関東支社においては前記業務を遂行するため、フイルムの賃貸の交渉および賃料の集金を業務内容とする営業第一課ないし第三課(担当地域による区分)、右集金を記録しこれを本社に送金する等同支社単位の経理事務を業務内容とする計算課、日常業務の統計、調査等を業務内容とする業務課の外に記録課、倉庫課を有していた。そして、被告会社の手形の振出、裏書等の処理は、原則として本社の経理部の所管により代表取締役永田雅一名義でなされ、時として特定の手形行為については右代表取締役から特別の委任を受けた財務担当取締役に限ってこれを代理し得るものとされており、前記各支社の支社長も支社長なるが故に右代理権限を有するということはなかった。中村清七は昭和二〇年一一月ごろから関東営業部に勤務し、当初は右営業部営業課のセールスマンとして従事していたが、昭和二九年一二月一日から昭和三二年一〇月五日までは同営業部営業第一課長として東京都および神奈川県を、同年一〇月六日から昭和三三年二月一日までは同営業第三課長として新潟県および東北六県をそれぞれ担当地域として所属セールスマンを通じてする各地域における映画館経営者との間におけるフイルムの賃貸借契約の締結、賃料の集金等の事務の総括をその職務としていた。ところで、被告会社本社は各支社に対し一定の割合をもって毎月各支社が管内映画館経営者から徴収して本社に送金すべきフイルムの賃料の額を定めてこれを責任額として課したため、関東営業部においてはその営業各課とも実際の月間売上げないし集金が本社の指示金額に満たなかったときにもありのままに報告せず本社に対しては指示金額分の集金があった旨いわゆる水増しをして報告し、実際の集金額との差額は、映画館経営者から翌月分を前借したり、あるいは映画館経営者から融通手形の振出しを受け、これら現金又は手形を本社に送付して補填するという行為を繰返しており、当時同営業部営業課長であった中村清七もその所管の課の売上、集金についてこの種の方式に従っていた。ところが、右不足額を充填するための前借金あるいは融通手形金の額が漸次増大の一途をたどり、その総額が一億円を超過するにおよんで、被告会社もこれを被告会社の責任において決済してかかる債務を一掃するとともに爾後はこのような処理を禁止する方針を打出し、昭和三三年二月一日に関東営業部長にあらたに鶴田孫兵衛を任命し、かつ、当時の営業第一ないし第三課長のすべてについてその責任を問う意味でその職を転じて営業部長附の閑職につけるとともに、新任の課長により各営業課のセールスマンや旧課長らにつき各自が担当している前記水増し額の債務の報告を受けかつ取引先にあたり、約一ヵ月を要して調査した結果、約金一億四〇〇〇万円の債務の存在が判明したので、これについては被告会社がその責任を認めて自ら決済することとするとともに、爾後は水増し報告を厳に戒め、現金の借入れはもちろん、映画館経営者等から融通手形の交付をうける等の行為を禁止した。右人事移動に基き、中村は、前記営業第三課長から関東営業部長附(のちに支社長附と改名)に転職したが、右関東営業部長附という職は前記営業課長を解職するに当り従前の課長を遇するために新たに設けられたポストであって、具体的権限はなんら有せず、ときとして支社長の命により営業部内の雑用を処理する如きものであった。これより先、中村は、昭和三二年一二月ごろ訴外赤坂某を介して金融業者から金四五〇万円を借り受けていたが、右水増し整理のさいには右債務を報告せず、被告会社が前記債務の決済をしたのちも右金四五〇万円の債務については自分で処理すべく苦慮しており、営業部長附となったのちにおいてはその職務権限が皆無であり、かつ会社は方針として水増し報告を認めない立てまえであったので、中村は他から融通手形の交付をうけてこれを他で割引いて利用する必要を生じ、そのため、当時の関東営業部長であった鶴田孫兵衛の記名判および職印をひそかに偽造してこれを使用してこれら融通手形に「大映株式会社取締役営業部長鶴田孫兵衛」名義の裏書をして他に交付し、右手形の満期が近ずくと再び他から融通手形の交付をうけて前同様の裏書をして金融業者に割引いて貰ってこれを右手形の支払に当てるという処理を繰返していたもので、右処理は昭和三三年九月一日に鶴田孫兵衛が本社の総務部長に転職し、後任の支社長として中泉雄光が着任したのちも、鶴田孫兵衛の前記記名判職印を利用して続けられた。しかして、本件手形も前同様の経緯により、昭和三四年四月ごろに吉本株式会社の新田俊彦に依頼して中村が交付をうけた融通手形の支払のため、重ねて新田に依頼して振出交付を受けたものであり、その裏書は、中村清七が鶴田孫兵衛の承諾をうけることなく前記のようにしてした偽造のものであることが認められる。

証人鶴田孫兵衛の証言により成立を認めるべき乙第一五号証中の中村清七の弁解書及び証人中村清七の証言中には中村の当初の金四五〇万円の借財もまた水増しのためのものであり、会社のために使用したものの如くいい、これが処理のためにする前記様式による裏書については鶴田においても暗にこれを認めていたかの如き供述及び供述記載部分があるが、鶴田孫兵衛が関東営業部長に任じて水増し整理を断行したとき中村はあえて右借財について報告しなかったことは右に見たとおりであり、何故に報告しなかったかの理由について証人中村清七が当法廷において供述するところはとうてい人をして納得せしめるものではない。しかも前掲挙示の証拠によれば、中村は部長附となる直前まで在任した営業第三課長の担当課の分としていちおう右整理の終ったあとにも、あらたに水増し分を発見したとして約金八〇〇万円を追加して報告し、これは会社において認めて整理の対象として処理したことを認め得るのであり、真実金四五〇万円の右借財が会社のためにしたものであれば当時当然報告してその整理を会社に委すべきものであり、これを会社に内密にしながら、その処理のための手形裏書について鶴田らがこれを暗黙にもせよ承認するわけがない。しかも右水増し分はおうむね映画館主らから前払金名義で支払を受け、あるいは融通手形の交付を受け、これら現金及び手形はそのまま本社に送付しているもので、いずれは取引上の操作で決済されるものであるのに比し、中村の前記借財は直接街の金融業者からのものであり、その決済のため融通手形をさらに金融業者から割引くものであって、前記水増し分のものとはその形態を異にしているのである。証人中村の供述は真偽とりまぜて巧みに粉飾されているものであり、少くとも前記の部分についてはとうていこれを信用することができない。証人坪田吾六の証言中右認定に反する部分は採用せず、その他に右認定をくつがえすべき的確な証拠はない。

右によれば、本件手形の裏書はもっぱら中村清七において自己の従前の債務の支払のためにした偽造にかかることが明らかであるから、被告会社においてその裏書の責に任ずべきいわれはなく、したがって、原告の請求原因(一)の主張は理由がない。

三、原告は、中村清七は被告会社から、被告会社のための手形行為をすべき代理権限を授与されている旨主張する。しかし、被告会社において被告会社のため手形行為をする権限をもつのは原則として代表取締役であり、時としては特命を受けた財務担当の取締役であること、中村清七は営業課長在職中から支社長附に転じた後も、すべて自己の債務を処理するため独断で融通手形に被告会社営業部長鶴田孫兵衛の名義で裏書してこれを割引いていたこと、しかして、本件手形の裏書も右と同様であることは前に認定したとおりである。なお、甲第二号証によれば、本件手形金五〇万円の領収書が被告会社営業部長鶴田孫兵衛の名義で原告宛に出されているけれども、≪証拠省略≫によると、右書面もまた前記中村が偽造した印章により中村の作成にかかるものであることが認められるから、前認定の支障をなすものではない。他に、代理権付与の事実を認めるに足る証拠はない。したがって、原告の請求原因(二)の主張も理由がない。

四、次に、原告は、中村が手形行為の代理権を有していなかったとしても、中村は営業課長在職中賃貸借契約締結等の代理権を有していたものであるから、本件手形の裏書は右代理権の越権行為であり、本件手形の裏書当時に右代理権が消滅していたとしても、原告は過失なくしてその消滅の事実を知らず、かつ、中村に本件手形行為の代理権ありと信じたものであり、かく信ずるにつき正当の理由があると主張する。中村が昭和二九年一二月一日から昭和三三年二月一日部長附となってその地位を去るまでは関東営業部第一課長もしくは第三課長として担当地域の映画館経営者との間にフイルムの賃貸借契約を締結し、あるいは売上金の集金をする事務を統括することをその職務権限としていたことは当事者間に争いがない。しからば、中村清七は営業課長在職中はフイルムの賃貸借契約につき被告会社を代理してこれを締結する権限を有していたものというべきであるから、結局中村は右代理権の消滅後かつその範囲を超越して本件手形に裏書をしたものとなすを妨げないというべきである。しかして≪証拠省略≫に本件口頭弁論の全趣旨をあわせると、本件手形は、中村清七とは昭和三二年一二月ごろから面識があり、かつ、そのころから中村が前に認定したような方法で裏書した融通手形を数多く割引いている金融ないし金融仲介業者坪田吾六が、中村清七からその割引の依頼をうけ坪田吾六は自ら最終的に割引くことをさけ、これを同業者の西村某へ割引の仲介をたのみ、西村から原告の兄伊藤喜造へ、伊藤喜造から原告へとそれぞれ割引の仲介があり、結局原告が割引くこととなり、坪田ら中間の業者はそれぞれその割引の利ざやを取ることとなったもので、原告は、この関係の手形割引ははじめてであったが本件手形取得に際して坪田吾六から、本件手形の裏書は被告会社関東営業部(当時の名称は関東支社となっていた)の営業課長である中村清七が記名押印してしたもので、従前右中村清七が同様に裏書した手形はいずれも決済されている旨を聞かされ、かつ、原告自身も本件手形の取得に当り被告会社の中村清七に電話して同人から真正な裏書なりとの回答を得、ここに中村には本件手形行為の代理権あるものと解して本件手形を取得したものであることを認めることができる。しかし甲第一号証の一の裏面第一裏書欄の記載によれば、本件手形の裏書の名義人は、通常の手形行為にみられる代表取締役もしくは経理担当取締役ではなく取締役営業部長であることは一見して明らかであり、右裏書を実際にしたのが又、通常本社の経理には直接関係のない関東支社の営業課長(実際は関東支社長附)であると聞かされていたこと、しかも原告本人尋問の結果によれば、原告は当時被告会社代表者永田雅一とは個人的な面識があり、大映ともあろうものがと不審をいだいたが、坪田から被告会社の関東営業部名義で本社には内密に手形割引の依頼がなされており、本件もその一であると聞かされており、当時被告会社裏書名義の手形がひんぱんに金融業者によって割引かれていることはある程度自分でも知っていたものと認められるのであり、加えて、本件手形が数次の金融業者ないし金融ブローカーの手によって仲介されたものであり、坪田自身は最終の割引者の地位をさけていること、等の事実にかんがみれば、本件が通常の手形取引の形態とはいちじるしくその態容を異にするものであることは明らかであって、このような事情のもとにおいては、原告は当然その不自然を察知すべかりしものであり、たんに仲介者の言を信じ、又、実際の裏書人である中村清七に対して電話で調査してその回答を得たとしても、これのみをもって中村に代理権ありと信ずる正当の理由ありとはとうていいい難いのである。とくに原告はその本人尋問の結果によれば、被告会社に電話照会したさい鶴田孫兵衛はすでに本社に転出していることを告げられたにかかわらず、たんに「本社に行っていて今一時不在」との趣旨に解し、直ちに中村を呼び出し同人にたしかめたのであり、その照会としてはおよそ無意味である。本件のごとき事情のもとにおいては、すでにそのなりたちからして不審きわまるものであるから原告自ら被告会社に赴き、裏書名義人である鶴田孫兵衛と直接会って中村清七の代理権限を調査するか、仮りに電話によるにせよ鶴田の所在につき連絡の上これと会話をまじえるか、あるいは、被告会社の経理部の責任者にこれを確かめるかしてのち、はじめて原告に自らの過失なく、正当な理由があるといい得るものであり、かくの如くせば中村の不正は容易に判明し得たことは多言をまたない。被告会社と原告の事務所は同じ千代田区内の京橋と丸の内にあり、とくに遠隔の地にあるわけではなく、原告に前記の所為を要求するのはなんら難きを強いるものではない。以上、要するに、原告は中村清七が本件手形行為について代理権を有すると信じたとしてもこれにつき正当の理由がないといわなければならない。したがって、原告の請求原因(三)の主張もまた理由がない。

五、次に、原告は、中村清七の裏書が偽造であって被告会社が本件手形金債務を負担しないとしても、中村の右裏書の偽造は同人が被告会社の事業の執行につきしたものというべく、使用者たる被告会社は右中村の不法行為によってこうむった原告の損害を賠償する責任があると主張する。そこで本件手形の裏書行為が中村清七の職務範囲に含まれるかどうかについて判断する。≪証拠省略≫に前に認定した事実をあわせると、中村清七はその営業課長在職中はいわゆる水増し額の充填のために営業部全体が映画館経営者等から前渡金名義で金員を借り入れ、あるいは融通手形の振出を受ける等の操作をするのを通例とし、被告会社もある程度右事実を認識しながらこれを放置していたふしもうかがわれないでもないが、昭和三三年二月一日以降は、被告会社において従前の債務を全部決済することとする反面、爾後は営業課員らによるこの種の所為を強く禁止し、それと同時に中村清七ら営業課長は右債務の増大の責任を負って支社長附の職に転じた。右支社長附という職は関東支社の内部機構上具体的な職務権限のない閑職でいわんや手形事務等とは全く無縁のものである。そして、中村清七が右支社長附に転じたのちは、その職務の実質も所謂雑用のみで、手形処理手続は計算課において担当し、中村清七は手形処理手続は勿論出納事務等金銭に関連する業務は一切出来ないこととなった。しかるに、中村清七は、支社長附となったのちもかなりな融通手形に偽造の裏書をくりかえして当面を糊塗していたが、もともとこれは自己の負担する債務のためであって、もっぱら上司に秘して続けたもので、被告会社において同人の担当する職務とは無関係である。以上の事実を認めることができる。右認定事実によれば、中村清七は、本件手形の裏書当時、現実にその職務権限を有しなかったことはもとより被告会社の制度、機構上の職務分配ならびにその実際の運営上の職務のいずれにてらしても、その行為の外形上も手形行為をなすべき職務とは無縁のものであったといわざるを得ない。しからば、中村清七がした本件手形の裏書の偽造は結局中村清七が被告会社の事業の執行につきした行為といい難いところである。

したがって、原告の請求原因(四)の請求も理由がない。

六、しからば、その余の事実を判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅沼武 裁判官 荒木恒平 裁判官鈴木醇一は転任の為署名押印することができない。裁判長裁判官 浅沼武)

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